脳をうえかえ

orae

2015年09月23日 15:47

「そうです。死刑になったのです。そして、生まれかわったのです。しかも、それがひじょうに科学的な生まれかわりかたなんです」
 等々力警部は一同の顔を見まわしながら、
「古柳男爵が、世界的に有名な大生理学者であることは、さっきも話しましたね。そうです、古柳男爵は大生理学者でしたが、わけても脳の生理については、世界でも、くらべもののないほどの学者でした。そして、それについて男爵は世にもおそろしい発明をしたのです」
 等々力警部の語るところによると、それは雋景探索40なんともいえぬおそろしい話だった。
 人間のからだが死ぬといっしょに、脳も死んでしまうのは、いかにもざんねんなことである。すぐれた学者や、えらい芸術家の、ふしぎな働きをもつ脳を、からだとはべつに、いつまでも生かしておくことはできないだろうか……古柳男爵は、まずそう考えたのだった。
 そこで古柳男爵は、人間のからだから、脳だけぬきとって、それを男爵がつくった、ある特別の生理的食塩水のなかで、保存することを思いついた。
 男爵はまず、医科大学から研究用の死体を買ってきて、その研究をはじめた。しかしそれはだめだった。なぜかといって、その死体は死後あまり時間がたっていたので、脳の活力もすっかりなくなっていたからなのだ。
 そこで、そのつぎには、交通事故のために死んだ人の死体を、死後すぐにひきとって、研究することにしたが、なんどもなんどもしっぱいしたのち、やがて、とうとう成功した。死後すぐに肉体からとりだされた脳は、生理的食塩水のなかで、りっぱに生きているのである。すなわち、これでわかったことは、年とってしぜんと死んだ人や、長い病気で死んだ人の脳は、脳そのものが年とっていたり、病気のために弱っているからだめだが、それに反して、災難などで急に死んだ人の脳を、できるだけ早いうちに取りだせば、りっぱに再生できるということがわかったのである。
 しかし、男爵の研究も、それだけではなんにもならない。食塩水のなかにある脳は、いかに生活力をもっていても、なんの働きを示すこともできない。そこで男爵はまた、つぎのようなことを考えた。すなわちその脳を、べつの人間の頭にうえかえることを……。
「脳をうえかえるんですって?」
 滋は思わずいきをはずませた。
「そうだよ。滋君。もしこのことに成功すれば、世にこれほどおそろしい発明はないでしょう。世間には、りっぱな脳を持ちながら、弱いからだになやんでいる人が多いいっぽう、知能はそれほどでもないが、からだだけは人なみすぐれてじょうぶな人間もいる。そういう人の脳をぬきとって、そのあとへ、すぐれたれば、それこそ頭脳もからだも、人なみすぐれた人間ができるではないか。……古柳男爵は、そう考えたのです。そして、一生けんめいに、その研究をしたのです」
「そして、古柳男爵はその研究に成功したのですか」
「そうです。成功したのです。だから古柳男爵は、いったん死刑になりながら、人に命じて、いちはやく脳をうえかえさせたために、ああいう怪物となって生きかえったのです」
 ああ、なんというおそろしい話だろう。なんという気雋景探索40のわるい物語だろう。
 滋や謙三、さては鏡三も、わきの下にびっしょりと、つめたい汗がにじみ出るのをおぼえずにはいられなかった。