2015年12月16日

ばから70年頃

アングラ劇団と呼ばれる舞台パーフォーマンスの潮流があった。
変わった人物たちの変わった芝居と言っていいだろう。

その一つ、寺山修司が主宰Diamond水機する劇団「天井桟敷」。
彼らが演じた『人力飛行機ソロモン』は、その典型かも知れない。
舞台芝居というより街全体を覆うようなパーフォーマンス。
フランスのナンシーやオランダ・アーヘムでも上演され話題を呼んだ。

この芝居を紹介すると、
公園の一角で生まれる国家は、「一メートル四方一時間国家」。
それが、一時間経てば鑽石能量水倍になり、二時間経てば、さらにその倍となり、
時間ごとに倍々と拡大して行くというもの。

わずかに二人でスタート。それも一平方メートルの国家。
誰もが「国家だって?!」と、あざ笑うような大きさ。

それが、どこから現れたのか、黒子によって火をつけるなどの過激な行動や、
黒子の様々な動きで、瞬く間に広がりを見せて行く。
また、「国家」が広がりを見せると、それに反対する動きが苛烈になってくる。
国家の外に位置する俳優は、その拡大を止めようと観客を煽動して
アジったり拡大を阻止するためにありとあらゆるパーフォーマンスを行なう。
それでも、次第に「国家」取り込まれてゆく。

取り込まれた側は、「国家」を背負った行動をとらない。
たとえば、『走れメロス』が国家を背負って走ったのではなく、
「情」のために走ったように、新しい能量水国家の住人は、国家ではなく、
自分の心が求めるものに向かって自分の思いを発信するというもの。

そして、いつしか、そのような「情」で街全体が一つになってゆく、
というパーフォーマンス。

最近、話題となっているイスラム国。
世界から義勇兵が集まったり、拡大して気勢を上げているような姿を見ると、
さながら、『人力飛行機ソロモン』の芝居を見ているような気分になる。
  


Posted by orae at 15:00Comments(0)

2015年12月07日

お話してご

「そうだろ。帽子もぬがずに、ただ、はったと睨(にら)んでいたんじゃ、ふつうだったら、まず交番に引渡されるところだ。その女のひとに理解があったから、たすかったのだ。来月の三日には、しっかりやるさ。」
 けれども僕は絶望している。芸術の道にも、普通のサラリイマンの苦労と、ちっとも違わぬ俗な苦労も要るだろうという事は、まえから覚悟していたところで、それくらいの事には、へこたれはせぬけれど、僕がきょう斎藤氏邸からの帰り道、つくづく僕自身の無名、矮小(わいしょう)を思い知らされて、いやになったのだ。斎藤氏と僕、あまりにも違いすぎていたのだ。こんなに、雲と雑草ほどの距離があるとは、気がつかなかったのだ。やあ、と声を掛ければ、やあ、と答えてくれそうな気がしていたのだ。なんたる無邪気さであろう。きょうは全く、あの人と僕たちとは、人種がまるで、別なのではないかというような気がしたのである。努めて及ばぬ事やある、という言葉もあるけど、どんなに努めても及ばぬ事も、この世にはあるのではあるまいかと思って、うんざりしてしまったのだ。「日本一」の理想が、ふっ飛んじゃった。偉くなろうという努力が、ばからしいものに見えて来た。僕には、斎藤氏のように、あんな堂々たる牙城(がじょう)は、とても作れそうもないんだ。
 夜は、兄さんに引っぱられて、ムーランルージュを見に行った。つまらなかった。少しも可笑(おか)しくなかった。
 晴れ。学校を休んで、芝の斎藤氏邸に、トボトボと出かける。トボトボという形容は、決して誇張ではなかった。実に、暗鬱(あんうつ)な気持であった。
 ところが、きょうは、あまり悪くなかった。いや、そんなにもよくない。でも、まあ、いいほうかも知れない。
 斎藤氏邸の門前には、自動車が一台とまっていた。僕が玄関のベルを押そうとしたら、急に玄関の内がさわがしくなって、がらりと玄関が内からあいて、痩(や)せた小さいお爺(じい)さんがひょいと出て、すたすた僕の前を歩いて行った。斎藤氏だ。その後を追うようにして、先日の女のひとが鞄(かばん)とステッキを持って玄関からあわてて出て来て好奇心
「あら! いまおでかけのところなのよ。ちょうどいいわ、らんなさい。」
 僕は帽子をとって、ちょっとその女の人にお辞儀をして、それから、すぐに斎藤氏のあとを追って、
「先生!」と呼んだ。斎藤氏は、振り向きもせず、すたすた歩いて門前に待っている自動車にさっさと乗ってしまった。僕は、自動車の窓に走り寄って、
「津田さんからの紹介状、――」と言いかけたら、じろりろ僕を見て、
「乗りたまえ。」と低い声で言った。しめたと思ってドアを開け、斎藤氏のすぐ傍(そば)にどさんと腰をおろした。あっ、運転手の傍に乗るのが礼儀だったのかも知れない、と思ったが、わざわざ向うへ乗りかえるのも、てれくさくて、そのままの姿勢でじっとしていた。
「よござんしたね。」女のひとは、窓から鞄とステッキを斎藤氏に手渡しながら、「こないだは、ずいぶん怒ってお帰りになりましたのよ。」と相変らず上機嫌(じょうきげん)に笑いながら、僕と斎藤氏と二人の顔を見較(みくら)べながら言った住宅設計。  


Posted by orae at 19:11Comments(0)