2015年09月07日

な事なんて


「毒の沼、骸の街、廃人横丁、ホラ吹き砂漠。寄生遺跡……と後……」

「それらを超えて帝都側に回れば、今度は巨大生物の住処ですね」

「そうだった。ええと……なんつったっけ……変わった名前の……」

「巨人保育園っす。姉さん」

「そうそう、それそれ」

 なんだその普通の単語におどろおどろしい形容詞を取ってつけたようだけのネーミングは!? なんでもかんでも継ぎ足せばいいってもんじゃないぞ!?
 それになんだ、前半は大体の想像がつくが後半はまるで意ips整形味がわからん。なんだよ巨人保育園って。大きなお友達がマグマをプール代わりにして遊んでいるのか!?

「だから、山越えはむしろ安全なルートなのよ。しんどいだけで特に脅威はないしね」

 そのしんどさが一番の脅威なんだよ。ブログで見たぞ。エベレストですら毎年何百人の遭難者が出てるとな。
 死体が道しるべになっているような山だぞ? その4,5個分って、それもう頂上は宇宙空間だろ。

「帝都直々の勅命なんでしょ? あんまりチンタラしてるのもどうかと思いますぜ」

「あんまり待たせて元老院に変な疑いかけられるとか、アタシやーよ」

 大魔女様曰く、僕がテロリストと知り合いだから匿お瑪姬美容 去印うとしていると疑われる可能性があるとの事らしい。
 いやいや、勘弁してくれよ。平地のマラソンですら3分で根を上げる僕だぞ? そんな標高何万mの空気の薄い所で、オリンピックランナーレベルの高地トレーニングみたいやったら、僕はその場で倒れて二度と起き上がらないかもしれないんだぞ?

「ほんと、お荷物だわー……」

「姉さんどうします? あっしらは山越えとか結構慣れてますけど」

「アニキはどう見てもそんな風には見えませんぜ……」

 じゃあむしろどんな風に見えるのか、聞品牌維護きたい。そこはかとなく聞きたい。

「しょーがないわねー。じゃあ麓に付く前に、こいつ用の薬草類を探しましょ」
  


2015年09月01日

戻ってきた

 ここははっきりそう言っておかなければならない、でないと、父から謀反を疑われることになってしまう。
「では、私以外は降伏するが、私は降伏しないと言う条件で降伏させていただけないでしょうか」
 彼は不思議な事を言い出す。
「いったい、どうしたいのです?」
「ドラールへの降伏は私のプライドが許さんのです。あなたに処刑してもらう方がまだましです」
 また、混乱するような事を言い出す、私が人をDR Max 教材殺せるわけないじゃないか。
「あなたも含めて降伏しなさい」
 メレッサは言ったが。
「私はメレッサ王女以外には降伏しません」
 彼は強硬に断る。私にメレッサ王女を名乗れと言っているのか。でも、それは無理だ、名乗ったら謀反になる、娘でも父から処刑されるだろう。
「私は謀反を起こす気はありません。私はメレッサ.タイレムです」
 はっきり言った。ミネーラは20年前に滅んだのだ、そんな亡霊を引きずっていてもしょうがない。
「では、先ほどの降伏条件で降伏します」
 ミラルス王は直立の姿勢をとった。彼の決意は固いようだった。
「わかりました、その条件で結構です」
 彼を処刑しなければ、この条件で鑽石能量水も結果は同じことになる。
 作り直した降伏文書にミラルス王は署名した。
署名式が終わって、メレッサは控え室に。セラブ提督やコリンスも一緒だ。
「ミネーラの事をもっと詳しく教えて下さい」
 自分の事なのに、なぜ私だけ知らないのか、腹が立つ。
「ミネーラ王家は20くらいの星を従えた小さな王家です。皇帝の攻撃を受け王族は母君を除いて全員死んだと聞いております」
 そんなひどい事があったのか。
「その事は誰でも知っていることなんですか?」
 あの会場の中で私だけが知らなかったなんて、ひどい話しだ。
「たぶん、みんな知っていると思います。ただ、微妙な話ですので、姫君の方DR Max 教材から話題にしない限り、この話を姫君にする者はいないと思います」
 それで、私はこの話にまったく気がつかなかったんだ。  


2015年02月28日

オトコとオンナは

女性は、ファッションやコスメ、グルメ、カルチャーで輝きを増す。

男性は、お酒、ギャンブル(株などを含む)で、脂ぎる。
(と、勝手にわたしは思う)

おそらく、いいオトコを知らないから、こんな偏dermes 脫毛價錢見に満ちた、さびしいことを言うんだろう。

女性は、言っちゃなんだが、わたしは、素敵な女性しか知らない。
なかには、とんでもない陰険なお方もいるが、べつに、どうってことはない。


現在未婚で、結婚を希望する人(50歳以上)に対する、男女の違いが、A新聞に載っていた。

男性は、女性に、性的関係を急いで迫るな!と、注意点が指摘されていた。
このあたり、女性と男性、まったくといっていいほど、ギャップを感じる。

男性も、濃厚系と、淡白系(肉食系と、草食系)に分かれるようだ。

草食系は、いまのわたしの年齢なら、大歓迎。
さらり、涼風。さわやか~。

逆に、肉食系、脂ギンギン、不潔、汚い、身だしなみも構わないような男性は、超NG。

ひたすら、肉にとり付かれているかのごとく・・・は、やめて~という、かんじ。
そういう人は、そういう人にぴったり合った、お相手と、研究に励んでいただければよろしいかと。
とことん、同好者同士、掘り下げて、追究していただければ、よろしいかと。

ただ、ね。
女性はホンネを言わない人が多いので、
わかったような気になって、一人合点をしないように、お願いしますね。
演技だってなんだって、へーキだから、勘違いしないように気をつけてくださいね。


オトコとオンナは、まったく分かり合えないものだと、わたしは思っている。

なので、男性が、「女性はこうだ」と、思い込みに近いことを仰っているのに接するにつけ、
違うんだけど~~
全然、違うんだけど~~
と、がっかりする。

女性の研究に詳しいと、自称しておられる方に限って、そういう人が多い。
研究の根本から洗いなおして、先入観をとっぱらって、それをわかったうえで、
一からやり直していただきたい。

それは、お互い様だけれど。  


2015年02月26日

あれを買えばいいんだ


家電店で、パソコンの近くに、電子ピアノが展示してあった。
とても美しい、うっとりする音色を奏でている。
プロのピアニストも、いらないのではないかと思うほどだ。

サンプルとして、演奏していたピアノは、展示されていdermes 激光脫毛た中で、一番高価なものだった。
高価すぎるので、手が出ないから、買おうか、どうしようか、と、悩みのツボに落っこちなくてよかったが。
どこかの国で保護された、記憶喪失の若い男性ピアニストが、いたっけ。
あの人が、実は透明人間になって、奏でているのか???
そんなわけはないだろうけれど、
ケアハウスか、老人ホームの個室で、ひとり、うっ黃斑點とりピアノに聴き入る自分を想像した。
膝の上には、電子猫をのせて、頭をナデナデしながら・・・

私も、ほんのすこぉし、ピアノは弾けるのだが、
余裕が出てきたら、みっちり練習しよう、なんて思っていたが、その気が失せた。
あんな美しい音色を聴かせてくれるピアノがあるなら、あれを買えばいいんだ。
そうやって、易きに流れ、指の運動を怠り、またひとつ、ボケに近づいていくのだろううか。

あ、それと、電子辞書。
これは、とってもスグレモノだ。
一番のお気に入りは、ネイティブスピーカーの発音付き!!
「脳内パリ」にも大層役立つだろうと、興味津津。
使いこなせるかどうかは、別として。
なんだか、ワクワクしてしまう。
ただ今、パンフレットを熟読中。
結構それだけで、遊べるから不思議だ。

私の頭の中は、いたって単純な造りになっているようで、退屈することを知らない・・・・  


2015年02月06日

わたしの祖母と同じ表現だ


人間って、欲が深い。

自分でも、今は最高に幸せだと思っているのに、(あ、夫との戦闘状態、どうなった?)
なぜか、ぽっかり、こころに穴があくことがある。

祖母が人生の最終時期によNeo skin lab 美容騙子く言っていた言葉。

「ああ、自分は幸せや。幸せすぎて、はやく死にたい」

NHK連ドラのカーネーションでも、ヒロインの祖母が、老いて「はよ、おまいりしたい」と言っていた。

死にたいことを、「おまいりしたい」、と言うのは、わたしの祖母と同じ表現だ。

祖母は天寿を全うし、大往生を遂げた。幸せな人生だと思う。


(おとなしく寡黙で辛抱強い、縁の下搬屋公司收費の力持ち。黙々と働く明治生まれの祖母。
幼い頃、わたしたち、きょうだいは、よくお世話してもらっていた。感謝、感謝)


凪(なぎ)状態は、こころが安定していて幸せなのだが、その幸せは長くは続かない。
幸せが飽和状態になり、麻痺して嬰兒敏感くると、退屈になり、生きがいを失い、
「ああ、はよ、おまいりしたい」になる。

虚しいなあ・・・
どんな多くの人に囲まれようが、栄誉に満ちあふれかえろうが、
(幸か不幸か、わたしには、無縁ですが)
とつぜん、自分と対決しなければいけない。


ああ、そういえば、アレをいただいた方に、お返しを返さなきゃ。
いつ、なにを? どこで買おう?
もうひとり、もらいっぱなしで、ほったらかしている人がいたっけ。
今週末の段取りは、えーーっと・・・
そんな先のことより、今日、持って行くものは・・・

あれこれ、考えたり、行動したり、ないアタマを使わないといけない。
ぼーーっとしていると、時間は、刻々と流れていく。

「幸せすぎて、はよ、おまいりする時期」は、まだまだ来そうもない。  


2015年02月04日

ほとんど

蝶ブログの最初のあたりを、ただいま、製本化、準備中である。
なんと、鼻持ちならないことばかり表現していると、わが目を疑う。
自分でも目を背けそうになった。
そりゃあ、あんな内容なら、元同級生は、嫌になって読まないはずだ。
ほとんど、自慢韓國 午餐肉
しかも、まあ、たらたらと。行間から、あふれ、滴りこぼれている。
嫌味ったらしいこと、嫌味ったらしいこと。
もっと書きようもあるだろうに維他命C
しかし、当時は、まるまるそう思って、茶化しもせず、まじめに書いている。
そのまじめっぷりが、意識なき浅はかな愚かさを増大させている。
(とはいえ、書いていることは、今日や昨日と大差はない)
あれで、閲覧数がある程度あるとすると、たいした驚き、びっくりものだが、
(証拠はないが、おそらく、一桁ぐらいではないかと推測する・・・)
閲覧数に関しては、安心することに、心臓に悪くないことになっている。
というのは、当初、閲覧数には目もくれず、まったくデータが残っていない。
閲覧数自体、存在するということを知らなかったのではないかという疑惑さえ浮かんできた。
閲覧数をチェックし始めたのは、ブログ開始2年後ぐらいからのようだ。
ブログをアップしていて、2年間も閲覧数をチェックしないというのも、すごいことだ。
完全に、完璧に、書くだけの世界にどっぷり浸かって、自己陶酔しきっている自分がいる。
我ながら、おそろしくて、固唾をのむ。
こうなれば、一日もはやく製本を完結して、はやくブログを消滅させねば。
いやはや、赤面というよりは・・・なんですかね・・・表現する言葉すら見当たらない。
そうこうして、徐々に自分のアク抜きをしていったのだろう。
わたしにとって、アク抜きは、不満や愚痴ではなく、自慢だったようだ。
ああ・・・なんという・・・。
(しかしながら、自慢は根強くベースにあり、それをあえて表現するか、しないか、であり、
本質は変わっていない)
上澄み液を捨てていって、さあ、自分のこころの深部、底にはなにがあるのか?
それが見えてくるには、やはり時間がかかるようだ。
自分と向かい合うには、書いて書いて書いて、アタマとこころの整理が必要だと想像する。  


2015年02月02日

大地響き

Loop app android
そうやって親きょうだいを巻き込んで、子育てしていく。
いちいち気を使っていては、やっていられない。
一人で抱え込んで頑張っても、パンクする。
自分もずいぶん、助けてもらった。
直接、手助けできないお年寄り(曾祖母)は、子育ての足を引っ張らないよう、自分の健康に気をつける。
各自、自分の持ち場を守り、役割を果たす。

お正月には、またまた民族大移動。
どしんどしんと、大地響き。
それぞれの核家族が子供や孫たちを引き連れて大集合の、大家族。

長男のヨメだけが、しんどい思いをするのではなく、
各世帯、負担が軽いようにしなければ、持たない、続かない、維持できない。
地方(親元)と都市部(子世帯の勤務・通学地)のパイプやバランス、役割分担。
辛い想いをしてきた、上の世代の人々の経験を、知恵を絞ってプラスに転化させるのが理想だ。
降って湧いたような妙案は存在せず、試行錯誤するしかない。

リタイアすると、親元に帰る人も、ちらほら見かける。
が、仕事や子育てのために住んでいた、現役時代に自分が生活していた地をすぱっと切るのではなく、親元と行ったり来たり。
ただし、年とともに、体力や気力、経済力が持たなくなり、どちらか一方になることが予想される。
そこで、子供たちに、いかにバトンタッチするか。
まったくバトンタッチできすに、そこで断ち切れてしまう場合もある。
有形・無形ともに、継承は、困難を極める。
自分の想いと子供世代の想いは、別であることが多い。

都市部では、一代一代、消滅してき、また新しい一代が生まれ、誕生、消滅が繰り返される。
そこに続くものは、血だけか。(血が続かないこともある)
お墓の継承さえ、切ろうとする動きもある。

子供や孫を可愛がるのは、ペットを可愛がるのと訳が違う。
かといって、自己犠牲までして見返りを求めるのは、理想に反する。
虐待を受けて育った子供は、また虐待を繰り返す傾向にあるらしい。
それと反対に、愛されて受け入れられて育った子供は、同じように人を愛する心が育まれているように思う。
が、無条件に溺愛するあまりに、距離感を保てず、pauillacお互いのためにならない親子もいる。

あまりたいして何も考えずに、理想的な家族もいるし、
考えたからって、どうなるってものでもない。
なるようになる、ってこと。  


2015年01月23日

朝急いで掃除機を

 今日は午後から雨だとの予報だったが、朝から小雨もぱらついた。今日は大掃除出来る最後の日だと、朝急いで掃除機を。
 三人でお墓の掃除とお参りを済ませると、私とキヨちゃんは買い出しに。くりりんは残って家の周りを洗浄ガンで掃除。そして自分の車を洗った香港酒店預訂

 私は買い物ついでに洗車しようと思っていたが、結局買い物に忙しく出来ず。戻ってからリュウをシャンプーし、そのままお風呂掃除と周辺の掃除をしたnuskin
 朝掃除の時、結露防止に貼っていたシール類がダメになっている所があったのではがして行った。廊下の勝手口などは結露を吸ったシールが、そのまま凍っていた。寒いわけだ・・・。
 そのシールをはがした跡がどうしても取りきれず、これもくりりんがスチームクリーナーで綺麗にしてくれた。
 そんなわけで、結局しようと思っていた仕事の何分の一も出来ずのお休み。それでも正月の買い物が済んだり、お墓の掃除が出来たので、キヨちゃんもくつろいだと言っていた。
 夜は久しぶりの焼き肉で、揃って女子フィギュアを楽しんだ。
 今年も後少し。明日から最後の仕事にかからなきゃ兒童健康食品。  


2015年01月14日

妖怪混雑

今日は仕事。くりりんはお休みでお出掛けしていた。
 午前中、電話して担当様を訪ねたのだが、町は予想以上の混雑ぶりだった。というのも、地元は妖怪祭りで、特に今年は「怪フォーラムin徳島」と銘打って、岩手・鳥取・徳島と妖怪に関係のある県が集まってのイベントだった。
 担当様の奥さまもご主人(おじいちゃん)をショートステイに預けて焼き鳥を焼くなどのお手伝い。地元のお年寄りもみんな協力してのイベントだ香港景點
 そのお陰で、道も店も駐車場も車と人で溢れていた。例年でも観光シーズンでもあり、これは出掛けるのは大変だと、午後はデスクワークにした。
 そして夕方いっぱいデスクワークをして、そろそろ終わろうかという時間になって、いきなり、
 「○○取り込み画面につなぎます。」
というようなメッセージ。うちの事務所のパソコンはネット環境につながっていない。どこか押し間違えたのかとクリックするが動かない。仕方ないので、一旦落として再起動。
 ところが今度は介護ソフトが立ち上がらない。事務所の課長に観てもらったが分からない、特養の事務所に確認してくれたら、向こうは動くと言うのでとりあえず今日は向こうで仕事して、分かるスタッフが出勤したら観てもらえば・・・ということになった益生菌價錢
 ところがところが、そのうちに向こうの事務所もダメになり、ついには会社の介護ソフトはどれも起動しなくなった。えええ~!私ですかあ?と思ったが、
 「多分すずさんのせいではないですよ。こんなことでサーバー全部が繋がらなくなったりはしないですから。」
と事務員さんは言ってくれたが、困った・・・。
 というのも、連休でパソコンの会社も休みである。私は明日以降に仕事を回すだけだが、今夜の夜勤者は手書きである。
 妖怪の仕業・・・と思いたい抗氧化物
  


2014年12月22日

全体性の美学的観点

美しさを思うとき、どこまで視覚性によって評価するのだろう。
生まれてからずっと西洋文化に慣れ親しんでいる私たちは、美を相対的に、対面的な主観で評価する癖が付いてしまってはいないだろうか。
以前取り上げた建築を例に取れば、西洋の建築やインテリアデザインは、人間の視覚的主観性をもって建築等のデザインを評価し判断を下す。
シンメトリー(左右対称)をはじめ西洋のデザインは、それのみで美しさの完全性を追求し、美を判断される対象物と、判断者である自分は完全に切り分けられる。
日本の本建築の場合、人間が含まれた全体の空間性、意匠性を感じとり、全体的に “サマになっているかな” という美しさの評価がある。
人が住む、人がその中に入って調和が取れるかどうかを考えて家を造る。
絵画や水墨画にしても、絵に大きな世界観があり小宇宙があり、しかも時間の経過を感じさせるという、全体性の美しさを、日本人は描くことができる。
日本人が得意とするアニメもその延長線上にあると言える。
活け花が床の間にあっても、その活け花だけを見て素晴らしい美しいと評価するのは西洋的である。
全体空間の中での一つの役割を演じるに相応しく、一つだけ飛び抜けようと主張することなく、部屋全体の調和が取れているかどうかを美しさの評価基準とする。
空間に入る人間も同じで、自分を含めた全体調和が為されているかどうか、着ているものは相応しいか、言動の一挙手一投足は相応しいだろうか、そこを日本人は無意識のうちに感じとろうとする。
ところで、懐かしい曲を聞いたり、懐かしい匂いを感じたりしたときに、昔の記憶が蘇り、言葉にならない質感までもが蘇るという経験をされたことはないだろうか。
或いは、子どもの頃に暮らした町に数十年ぶりに帰って、「家から学校までの距離がこんなに短かったのか、子ども頃は長く感じたのに」 というイメージ。
数十年ぶりに自転車に乗ろうとすれば乗れてしまう。
これは、視覚だけでなく、聴覚や臭覚、三次元感覚、時間感覚(1分の長さ)など、当時の全体性を私たちが感じとっていて、無意識内に記憶として放り込んであるものが、何かのきっかけで現在に蘇ることによって生じる現象である。
脳内にある扁桃体の働きによって重要な記憶は半永久的に残ると言われているが、この残りかたは “エピソード記憶” と言って、有時間の空間物語として記憶しており、まさに全体性の記憶である。
ユング心理学は、意識と無意識を合わせた全体性において心理の判断をする。
この判断基準の要素の一つに、“心の美しさ” を入れるというのはどうだろう。
人間、社会的なペルソナ(仮面)を取れば、そりゃ悪い性格だってあるし、利己主義的なところだってあるし、狡賢く処世することだってあるに決まってる。
ユングは、そうした自分自身を嫌になる点をけっして否定してはならないと言う。
消さなくていい。消してはならない。抑圧してはならないserviced apartments
ユング心理学は鷹揚だ。(鷹揚=小さなことにこだわらずゆったりとしているさま)
影の自分を許容しつつ光の自分に従えて人生を歩んでゆけとユングは言う。
影と光とを合わせた “自己” の全体像としてどうかという視点である。
“自己” はいくつかの人格によって造られているのだろう。
そのバランスが美しいかどうかという、内省のテーマは有って良いのではないか。
西洋の美学的観点を持つこともいい。
しかしそれが絶対ではない。
ユングは西洋の完全性を認めつつも、東洋の全体性を自身の心理学理論の中核に置いた。
東洋の全体性を感じる感覚というのは、一つの才能と言えるかもしれない。
日本人の無意識内に宿っている才能を生かしてみようじゃないか。