2015年02月02日
大地響き

そうやって親きょうだいを巻き込んで、子育てしていく。
いちいち気を使っていては、やっていられない。
一人で抱え込んで頑張っても、パンクする。
自分もずいぶん、助けてもらった。
直接、手助けできないお年寄り(曾祖母)は、子育ての足を引っ張らないよう、自分の健康に気をつける。
各自、自分の持ち場を守り、役割を果たす。
お正月には、またまた民族大移動。
どしんどしんと、大地響き。
それぞれの核家族が子供や孫たちを引き連れて大集合の、大家族。
長男のヨメだけが、しんどい思いをするのではなく、
各世帯、負担が軽いようにしなければ、持たない、続かない、維持できない。
地方(親元)と都市部(子世帯の勤務・通学地)のパイプやバランス、役割分担。
辛い想いをしてきた、上の世代の人々の経験を、知恵を絞ってプラスに転化させるのが理想だ。
降って湧いたような妙案は存在せず、試行錯誤するしかない。
リタイアすると、親元に帰る人も、ちらほら見かける。
が、仕事や子育てのために住んでいた、現役時代に自分が生活していた地をすぱっと切るのではなく、親元と行ったり来たり。
ただし、年とともに、体力や気力、経済力が持たなくなり、どちらか一方になることが予想される。
そこで、子供たちに、いかにバトンタッチするか。
まったくバトンタッチできすに、そこで断ち切れてしまう場合もある。
有形・無形ともに、継承は、困難を極める。
自分の想いと子供世代の想いは、別であることが多い。
都市部では、一代一代、消滅してき、また新しい一代が生まれ、誕生、消滅が繰り返される。
そこに続くものは、血だけか。(血が続かないこともある)
お墓の継承さえ、切ろうとする動きもある。
子供や孫を可愛がるのは、ペットを可愛がるのと訳が違う。
かといって、自己犠牲までして見返りを求めるのは、理想に反する。
虐待を受けて育った子供は、また虐待を繰り返す傾向にあるらしい。
それと反対に、愛されて受け入れられて育った子供は、同じように人を愛する心が育まれているように思う。
が、無条件に溺愛するあまりに、距離感を保てず、pauillacお互いのためにならない親子もいる。
あまりたいして何も考えずに、理想的な家族もいるし、
考えたからって、どうなるってものでもない。
なるようになる、ってこと。
Posted by orae at 11:52│Comments(0)
│全体性の美学的観点