2015年05月20日

このことは

イタリアのポンペイの街が、突然の火山爆発により消失したのは、紀元79年のことだったそうだ。

発掘された街の遺跡を見ると、ワインを売る酒場やパン屋などが並び、現代とも紛(まご)うばかりの世界が広がっているのに驚く詩琳


よく言われることだが、その時期、日本では縄文から弥生へといった時代だった。
我々の祖先は、その頃、共同生活をしながら漁労や木の実を摘んだりしていたようだ。

縄文文化と言えば、遠い昔のように感じるが詩琳
ことによると、今から50年ほど前の1960年頃までの日本の地方にあった辺鄙な村では、
縄文の生活が脈々と息づいていたのではないかとも言われる詩琳

たとえば、漁村に行けば、子供たちですら小さな小舟の櫓を操って近海の魚を捕ったり、
山間(やまあい)の田舎では、家族総出で自給自足の生活をしていた。

それが、つい50年に満たない前のことである。

思えば、日本は、その後、急速度に変化したような気がする。
変化の背後にあったものは、科学の急激な発達だろう。

「我思う、故に我あり」で有名な、哲学者であり科学者でもあったルネ・デカルトの著書『方法序説』
第6部に
「(自然学の一般的な知識のおかげで)我々は、自然の主人、かつ所有者になることができる。
このことは、労せずして地上の果実、
すべての便利なものものを享受することが可能となる無数の技術の発明という点で
望ましいだけでなく、
また、主として、この世の生の善である健康維持にも望ましい」

17世紀という時代、
科学がもたらす明るいビジョンを掲げながら、デカルトが、誇らしげに語っている。


私たちにとって、豊かな大地と豊穣の海、今から思えばかけがいのないものだったと感じる。

取り戻すことが出来るのだろうか?


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Posted by orae at 15:25│Comments(0)yu
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