2015年05月19日
息を吹きかけると
昔の電化製品は、ヤワだったのか様々な故障をしたものだった。
今のような保証制度がなく、故障すると自分で修理ということになる。
テレビなどは、修理が難しく、厄介なものだった。
画面に、上下や斜めの線などが出るなどの不具合が起こり、
見えにくい状態になることが、よくあった。
そんな時、テレビの横の部分を軽く叩いたりすると、
正常に動き始めたりする。
どこの家庭でも、
家族の中に、叩き具合が微妙にすぐれている第一人者がいて、
不具合が生じると、叩き名人として呼ばれて、軽くタッピングをして、
みごとに立ち直らせたりしたものだった。
ちょっと特殊な言葉に、
『オーガニック・ブリッジ』なる言葉がある。
本来、無機物である機械などが、
まるで、心でもあるような反応をする場合がある、
それを意味する言葉。
たとえば、
ポンコツで動かなくなった車のエンジン部分に、
息を吹きかけると、動くようになったり、
軽く指を触れるだけで、スムーズに動くようになったりすることがある。
また、生物学者のL・ワトキンス氏の著書によると、
ドイツのヴァイオリン奏者アンネ・ゾフィー・ムター女史は、
演奏の時は決まって肩が出るイブニングドレスを着用して、
ご自慢のストラディヴァリウスを演奏したという。
楽器と直接肌で触れる方が、
いい音が出るとしているためだという。
そんな風に、本来無機質で、精神性など持たないようなものが、
有機体である人間と触れ合うことによって、
尋常でない力を発揮することを
『オーガニック・ブリッジ(有機的なつながり)』と呼ぶそうだ。
家族の中の叩き名人によって、テレビが正常の動きをしたのも、
このオーガニック・ブリッジ賜物か?
2015年05月18日
困ったぁ
「うわぁ、黒くなったよぉ。たった一時間牛熊證 行使價なのに焼けたねぇっ!」玄関のドアから覗いた二つの黒い顔に向かって「お帰り~っ!」の代わりにそう言った。佳奈と茉莉は敷地内のプールに今日も行ったのだ。そして、私が期待していた返事「本当?やったーっ!」の代わりに返って来た言葉は「うそっ?日焼け止め塗ったのにぃ。。」で、二つの黒い顔はお互いの顔を見合わせ困惑していた。明らかに日焼けをしたくなかったのだろう。「日に焼けたくないのぉ?」二人の様子に驚いて私が聞くと「だってねぇ、みんな、真~っ白なんだよぉ。みんな綺麗な肌なんだよぉ。佳奈、すぐに焼けちゃうの。」可哀相に。子供の時から白くなることを意識し、気持ちの悪い油っぽいクリームを顔に体に塗りたくらなくてはならないなんて。「いいんだよ、焼けて。焼けている方が健康そうで可愛いよ。」「さっちゃんはいいよぉ。だって真っ白だもんっ。」「さっちゃんも、昔は真っ黒だったんだからぁ。」そう、昔は真っ黒だった。
ヴァージニア日記夏休みの日焼けは私にとって勲章だった。色の黒さでいかに楽しい夏休みを過ごしたかが評価されると思っていたから、私は夏休み入った7月にめい一杯焼けてしまうのがもったいないような気がして、一皮剥ける前に早く誰かに黒さを自慢したくてしょうが無かった。あの日焼けの痛さはまだ覚えている。小学校2年生の時に、真樹の家族に連れて行ってもらった太海の海。民宿の二階の畳み部屋で、真樹と横に並んでTシャツをまくり、真っ赤に焼けた背中を真樹のパパに見せ、ローションのついた黄緑色のスポンジでポンポン叩いてもらったのを覚えている。西日の部屋の中で、染みる痛さに真樹と一緒に悲鳴をあげたのを今でも鮮明に覚えている。
「日焼けすること」になんの否定的意味も含ませないまま私は大きくなり、中学校でも軟式テニス部自主夏休み練習で真っ黒になり、高校でも自主夏休み練習で真っ黒になり、そして大学でも。ところが、19歳で私の日焼け感は大きく変わったのだった。
高校時代同様に、私は毎日勝手に小平のテニスコートに赴き、帰郷していない良枝や美佐と共に朝から晩までテニスに明け暮れ過ごした。良枝が広島に帰郷し、美佐が都合でいなくても、きっと小杉さんか誰かいて面倒みてくれるだろう、時々しぶしぶ相手してくれるだろう、、、と期待して、毎日毎日テニスコートに赴き、砂まみれ、汗まみれになって夏休みを過ごしていた。そして夏休み下旬に行われるテニス合宿の時には、みんなよりも一足先にもうすでにど真っ黒な私がいた。髪の毛を二つに結わき、白金荘の入り口入ってすぐの古い階段に腰掛けて学年ごとに撮った写真の中で、私だけが、男の子に負けず劣らず真っ黒な顔で、白い顔の女の子の中で黒いのにかなり浮いていた。私は私の黒さが自慢だった。「あだちぃ、焼けたなぁ~っ!真っ黒だなぁ~っ!」なんて言われると「そうなんですよぉ。焼けちゃってぇ。」と誉め言葉をもらったかのように、嬉しそうに微笑み返した。
そんな真っ黒になった私に、ある日、津村さんが近付いて来てこう言った。「あだちぃ、顔くらい日焼け止め塗れよぉ~っ!年取ってから後悔しても知らねぇぞぉ~っ!」んまぁ、なんておせっかいなっ!とは思ったものの、何となくその言葉が気になって、そしてそれから私は日焼け止めを塗るようになり、そうなると今度は徹底して日焼けをしたくなくなって来て、周りのみんなと一緒になって、顔に体に白いクリームを塗りたくって、気持ちの悪い思いをしながら汗かきテニスをするようになった。
OLになってからは、さらに気をつけるようになって、一瞬たりとも日に当たりたくないと、夏の通勤には日傘は必須、「あだちくんは本当に白くて柔らかいねぇ。」と荒さんにはいつもほっぺをツンツン押されるほどに、雪見大福のようなほっぺの私になった。日に焼けるとそのまま陽射しを吸収し、すぐに黒くなる私なのに、いつのまにか「白い」イメージを持ってもらうようになり、そして私にとって「白いこと」が美徳となり、「日焼け」は否定的な意味を含むようになっていった。
そんな私だけど、子供時代はやっぱり真っ黒に焼けるべきだと思う。ある朝までそう思っていた。
「う~~ん、、、困ったぁ。。。なんでだろう。。。。これが津村さんが言っていた『年取ってから困るぞぉ。』なんだろうかぁ。。う~~ん。。。」鏡を見ると、私の頬っぺたには大きな大きな大きな染みがぼこぼこっと出現してきたのだ。19では遅かったのか。それとも、365日のハル散歩のせいだろうか。とにかくこの染みを何とかしたい。そして毎日鏡を見ては、自分の肌の汚さに嘆き、無理は承知で、あの化粧品、この化粧品と試す毎日を送っている。「さっちゃん、日本では染み一つ、一万円で取れるんだよ。」そう言う典ちゃんの言葉を間に受けて、一万円の染み取りは今や私のいつになるのかわからない次回の日本帰国の目的の一つとまでになっている。
佳奈と茉莉に「焼けている方が可愛いよぉ。黒い方がいいじゃないっ!」なんて言って置きながら、「いいなぁ、佳奈と茉莉は『年取ってから』私みたいに「染みお化け」にならなくて済むんだぁ。。。」あ、そう言えば、小さい頃、よくママに言っていたなぁ。「そばかすお化け」って。私の手はママの手みたいになったけれど(←クリック)、私の顔もママみたいになったんだ。
そうして今日も私は先日インターネットで買った化粧品を染みにめがけて塗りたくる。
消えろ~消えろ~消えろ~。。。。
2015年05月14日
受けないというのも地獄
だけども、そうとは限らない。
江戸時代の密偵などは、ふところに「恋文」を入れていたという。
密偵や忍者は、入ってはいけないところに侵入するのが役目。
そんな場所で見つかったりするとヤバいことになる雋景。
ところが、手渡すために入ってきたとして、女性宛の「恋文」を見せる。
恋のために入ってきたのかと、笑って許されるという寸法。
実際に、密偵の七つ道具の一つだったようだ雋景。
『徒然草』を書いた吉田兼好も「恋文」で苦しんだ一人とも言える。
彼の時代、権勢を振るっていたのは、足利尊氏の家臣、高 師直(こうの もろなお)。
当時、師直は、まさに飛ぶ鳥を落とすような勢い雋景。
そして、何でも自分の意のままにならないと気が済まないと言うべき質(たち)だった。
『太平記』にも仔細詳しく書かれているが、
その師直が吉田兼好に恋文の代筆を依頼した。
恋文の相手というのが、塩谷判官の妻。
すなわち、身分のある人妻に横恋慕して、そのラヴレターを兼好に依頼した。
師直は、その女性には、実際には会ってもいないにもかかわらず、
随一の美人であるという評判を聞いて恋心を起こしたという何ともワケの解らない人物。
そして、実際に兼好が恋文を書いたようだ。
どのような内容であったかは知る由もないが、
彼が書くのだから説得力のある名文だったに違いない。
そんな恋文だったが塩谷判官の妻は一瞥(いちべつ)だにせずに打ち捨てたという。
それに怒った師直が塩谷判官に謀反の罪を着せ、
塩冶一族が討伐されることになったという物騒な結末。
そして、当の吉田兼好は、出入り差し止めとなってしまった。
受けないというのも地獄、受けた結果も地獄。
「恋文」は、ロマンとは、ほど遠いものと言えそうだ。
江戸時代の密偵などは、ふところに「恋文」を入れていたという。
密偵や忍者は、入ってはいけないところに侵入するのが役目。
そんな場所で見つかったりするとヤバいことになる雋景。
ところが、手渡すために入ってきたとして、女性宛の「恋文」を見せる。
恋のために入ってきたのかと、笑って許されるという寸法。
実際に、密偵の七つ道具の一つだったようだ雋景。
『徒然草』を書いた吉田兼好も「恋文」で苦しんだ一人とも言える。
彼の時代、権勢を振るっていたのは、足利尊氏の家臣、高 師直(こうの もろなお)。
当時、師直は、まさに飛ぶ鳥を落とすような勢い雋景。
そして、何でも自分の意のままにならないと気が済まないと言うべき質(たち)だった。
『太平記』にも仔細詳しく書かれているが、
その師直が吉田兼好に恋文の代筆を依頼した。
恋文の相手というのが、塩谷判官の妻。
すなわち、身分のある人妻に横恋慕して、そのラヴレターを兼好に依頼した。
師直は、その女性には、実際には会ってもいないにもかかわらず、
随一の美人であるという評判を聞いて恋心を起こしたという何ともワケの解らない人物。
そして、実際に兼好が恋文を書いたようだ。
どのような内容であったかは知る由もないが、
彼が書くのだから説得力のある名文だったに違いない。
そんな恋文だったが塩谷判官の妻は一瞥(いちべつ)だにせずに打ち捨てたという。
それに怒った師直が塩谷判官に謀反の罪を着せ、
塩冶一族が討伐されることになったという物騒な結末。
そして、当の吉田兼好は、出入り差し止めとなってしまった。
受けないというのも地獄、受けた結果も地獄。
「恋文」は、ロマンとは、ほど遠いものと言えそうだ。
2015年05月14日
良家の子供を演じるときは
いい人間だが、どこか、素直じゃないと感じる人物がいる。
フランスの作家ヴォルテールの言葉に激光永久脫毛「嫌いなものを除いたものが好きなもの」という表現がある。
幾分、あたり前のようでもあるが、どこか素直でないものを感じる。
異彩を放つ俳優であり映画監督でもあった
伊丹十三氏も、どこか皮肉屋っぽいところがあった人物だった。
彼のエッセイに康泰領隊、
「ニヤリ、とする時に片方だけが持ち上がるのは、小さいときに親をなくしたか、
不幸な家庭に育った人間かだと言われた」
という文が出てくる。実際に、小さい頃に父親をなくしている。
そのせいか、彼が笑うと決まって斜に構えた不敵さがあらわれていた。
良家の子供を演じるときは、左右対称に笑わないと、たしかにサマにならない。
誰でも完全な左右対称の人間はいないが、
左右対称に笑えない人間には、どこか素直じゃない影のようなものがある。
左右対称でない政治家としてすぐに思い浮かべるのは、麻生財務大臣。
かつて、田中眞紀子は彼を称して「口の曲がったオジさん」という表現をしていたが、
彼は、吉田茂を先祖に持つ九州の財閥家の出身。
まさに良家のオボッちゃま。
今、日本の多くが消費増税反対の声を挙げているのに、
聞こえないフリりをし続けている。
フランスの作家ヴォルテールの言葉に激光永久脫毛「嫌いなものを除いたものが好きなもの」という表現がある。
幾分、あたり前のようでもあるが、どこか素直でないものを感じる。
異彩を放つ俳優であり映画監督でもあった
伊丹十三氏も、どこか皮肉屋っぽいところがあった人物だった。
彼のエッセイに康泰領隊、
「ニヤリ、とする時に片方だけが持ち上がるのは、小さいときに親をなくしたか、
不幸な家庭に育った人間かだと言われた」
という文が出てくる。実際に、小さい頃に父親をなくしている。
そのせいか、彼が笑うと決まって斜に構えた不敵さがあらわれていた。
良家の子供を演じるときは、左右対称に笑わないと、たしかにサマにならない。
誰でも完全な左右対称の人間はいないが、
左右対称に笑えない人間には、どこか素直じゃない影のようなものがある。
左右対称でない政治家としてすぐに思い浮かべるのは、麻生財務大臣。
かつて、田中眞紀子は彼を称して「口の曲がったオジさん」という表現をしていたが、
彼は、吉田茂を先祖に持つ九州の財閥家の出身。
まさに良家のオボッちゃま。
今、日本の多くが消費増税反対の声を挙げているのに、
聞こえないフリりをし続けている。
2015年05月13日
チェシャ猫は
日本人の、わけのわからぬニヤニヤ笑い、ということを言われることがある。
語学的なハンディキャップもあり、
話している中にうまく入って行くことが出来ずにいるときに、
ニヤニヤ笑いで取り繕う場合がある。
こんな笑いを良しとする人もいれば「何を考えているかわからない」と言って、
否定的に捉える人もいる香港廣東遊。
特に西洋世界では意味のないニヤニヤ笑いに対する警戒心があるようだ。
『不思議の国のアリス』には、チェシャ猫というのが出てくる。
この猫、いつもニヤニヤ笑いを浮かべ、人間の言葉を話し、
自分の身体を消したり出現させたりできるという特技を持っている。
ルイスが書いた頃には "grin like a Cheshire cat(チェシャ猫のように笑う)"
という慣用表現が当時すでによく使われていたそうだ。
この句は、「意味もなくニヤニヤ笑う」という意味。
ルイスは、この言葉からインスピレーションを受け、
チェシャ猫を創作したようだ。
小説の中で、木の枝にいたのにアリスが見ている前で少しずつ姿がフェードアウトして、
遂に見えなくなってしまう話しが出てくる。
チェシャ猫は、それですべてが消えてしまったはずなのに、
何故だかチェシャ猫の妙なニヤニヤ笑いだけが残っているというもの。
日本人の白黒をつけない「玉虫色の決着」というものも、このようなところがある。
終わったように見えて決して終わっていない香港酒店推荐。
白黒つけないで、玉虫色で放っておいたものが、息を吹き返し、
このチェシャ猫が消え去ったあとの薄笑いのように、気持ちの悪い感覚が蘇ることがある。
日本には、そんなものがたくさん残っている。
細かいところまでしっかりと「契約」することを重んじる西洋世界と、
曖昧な決着をする日本財務公司貸款計算。
詰めの甘さが「ニヤニヤ笑い」となって表われる。
この曖昧さが、結局は、自分の首を絞めてしまうことになる?
語学的なハンディキャップもあり、
話している中にうまく入って行くことが出来ずにいるときに、
ニヤニヤ笑いで取り繕う場合がある。
こんな笑いを良しとする人もいれば「何を考えているかわからない」と言って、
否定的に捉える人もいる香港廣東遊。
特に西洋世界では意味のないニヤニヤ笑いに対する警戒心があるようだ。
『不思議の国のアリス』には、チェシャ猫というのが出てくる。
この猫、いつもニヤニヤ笑いを浮かべ、人間の言葉を話し、
自分の身体を消したり出現させたりできるという特技を持っている。
ルイスが書いた頃には "grin like a Cheshire cat(チェシャ猫のように笑う)"
という慣用表現が当時すでによく使われていたそうだ。
この句は、「意味もなくニヤニヤ笑う」という意味。
ルイスは、この言葉からインスピレーションを受け、
チェシャ猫を創作したようだ。
小説の中で、木の枝にいたのにアリスが見ている前で少しずつ姿がフェードアウトして、
遂に見えなくなってしまう話しが出てくる。
チェシャ猫は、それですべてが消えてしまったはずなのに、
何故だかチェシャ猫の妙なニヤニヤ笑いだけが残っているというもの。
日本人の白黒をつけない「玉虫色の決着」というものも、このようなところがある。
終わったように見えて決して終わっていない香港酒店推荐。
白黒つけないで、玉虫色で放っておいたものが、息を吹き返し、
このチェシャ猫が消え去ったあとの薄笑いのように、気持ちの悪い感覚が蘇ることがある。
日本には、そんなものがたくさん残っている。
細かいところまでしっかりと「契約」することを重んじる西洋世界と、
曖昧な決着をする日本財務公司貸款計算。
詰めの甘さが「ニヤニヤ笑い」となって表われる。
この曖昧さが、結局は、自分の首を絞めてしまうことになる?
2015年05月12日
楽しき哉人生
大きな外国語スクールになることを考
えたこともあったが、
ささやかな、知る人ぞ知る程度であるスクールに満足している。
(かと言って生徒さん減少で潰れるのも本意ではない。)
生徒さんの一人一人を知っていて、時には融通きかせながら、
ささやかな人生を楽しんでいる。
時には移ろい行く六甲山の風景にもののあはれを感じ、
近くの酒屋で年代物の格安ワインを見つけて香港酒店预订
自分こそワインのなんたるかを語れるもののように講釈をたれる。
楽しき哉人生。
謳歌する気持ちにこそ幸いあれ。
えたこともあったが、
ささやかな、知る人ぞ知る程度であるスクールに満足している。
(かと言って生徒さん減少で潰れるのも本意ではない。)
生徒さんの一人一人を知っていて、時には融通きかせながら、
ささやかな人生を楽しんでいる。
時には移ろい行く六甲山の風景にもののあはれを感じ、
近くの酒屋で年代物の格安ワインを見つけて香港酒店预订
自分こそワインのなんたるかを語れるもののように講釈をたれる。
楽しき哉人生。
謳歌する気持ちにこそ幸いあれ。
2015年05月11日
ワシントンDCには
いつだったか、息を呑むほど美しい桜の花を
まだ少女だった私が見たのは、京都の山の中だった。
その何年後だったか、
ワシントンDCで学生をしていた私は、
ポトマック川沿いで満開になった桜を見た。
日本から贈られたという、三千本以上のソメイヨシノの
すべての花が咲き誇る様は、胸がいっぱいになるくらい
本当に見事で美しく、花を見上げて歩く私の目からは
もう少しで涙があふれそうだった願景村 退費。
白っぽいピンクの花びらは霞のように頭上に広がり、
遠く日本から離れた私に、あの京都の山の中で見た
夢のような桜の花を思い出させてくれた。
満開の桜の花に哀愁を覚えるのは、
その花たちが風に吹かれてはらはらと
あまりにも儚く散ってしまうせいなのか願景村 退費、
遥かな故郷の春の記憶にリンクするせいなのか、
私はただただその場から離れがたく、
しばし茫然と桜の花に包まれていた願景村 退費。
ワシントンDCには、もう帰ることもないだろうけれど、
あの桜並木だけは、また見てみたいと私は思う。
まだ少女だった私が見たのは、京都の山の中だった。
その何年後だったか、
ワシントンDCで学生をしていた私は、
ポトマック川沿いで満開になった桜を見た。
日本から贈られたという、三千本以上のソメイヨシノの
すべての花が咲き誇る様は、胸がいっぱいになるくらい
本当に見事で美しく、花を見上げて歩く私の目からは
もう少しで涙があふれそうだった願景村 退費。
白っぽいピンクの花びらは霞のように頭上に広がり、
遠く日本から離れた私に、あの京都の山の中で見た
夢のような桜の花を思い出させてくれた。
満開の桜の花に哀愁を覚えるのは、
その花たちが風に吹かれてはらはらと
あまりにも儚く散ってしまうせいなのか願景村 退費、
遥かな故郷の春の記憶にリンクするせいなのか、
私はただただその場から離れがたく、
しばし茫然と桜の花に包まれていた願景村 退費。
ワシントンDCには、もう帰ることもないだろうけれど、
あの桜並木だけは、また見てみたいと私は思う。
2015年05月07日
驚いた変なものが
ジュニアのお父さんの郵便受けには、
毎日かなり大量の郵便物が届く。
古い友人からの絵はがきだったり、
請求書だったり、セールスのDMだったり、
購読している雑誌だったりinvision group 洗腦、
カタログオーダーして買った商品だったりと、
我が家の1ヶ月分ぐらいの量の郵便物が
お父さんの郵便受けには毎日届く。
おおげさではなく、本当にたくさん届く。
だいたいお父さんはカタログショッピングが大好きで、
「こんなもの要らないでしょう」と思うような物を
しょっちゅうオーダーしているinvision group 洗腦。
でも確かに、郵便物が届くっていうのはうれしいもの。
お正月に年賀状がどっさり入っているのがうれしかったように、
郵便受けをチェックする時って、ちょっとワクワクする。
お父さんはたぶん、寂しがり屋なんだろうなあと
私は郵便受けを見に行くお父さんの後ろ姿を見ながら思った。
それにしても、届いた郵便物の中には
なんて無駄なモノが多いんだろうinvision group 洗腦。
言ってみればお父さんは、断捨離の真逆を堂々と実行中だ。
彼は「エコ」なんて言葉からも、とても遠い所にいる。
それに、名前入りのメモパッドやカレンダーなど、
頼んでもいないものを勝手に送りつけてきて
「寄付をお願いします」という押し売りのような手口の
さまざまな団体があるのだけど、
たぶんお父さんはそんな手口に
何度もひっかかって寄付をして来たので
あらゆる慈善団体の“カモ”リストの
トップに名前が載っているんだろうなあ、と私は思う。
おかげで我が家には、「これあげる」とお父さんが次女にくれた
お父さんの名前入りメモパッドやステッカーやペンやカレンダーが
ものすごくたくさん置いてある。オフィスにも置いてある。
中にはびっくりするような柄入りの傘やブランケットや
スリッパや子供の靴下や下着のパンツまで送り付けて来る団体もある。
いや、しかしそうかと思えば、私が
「またこんな変なもの勝手に送りつけてきたの~?!」と
驚いた変なものが、実はお父さんのカタログオーダー品だったり、
しかも「千尋のために買ったんだよ」と言われたりする。
お父さんが私のために買ってくれたということがうれしくて
私はとりあえずその変なものをありがたくいただくのだけど、
眼鏡の上からすっぽり着用できるサングラス…っていうのを、
普段から眼鏡を使っていない私にくれても困る.っていうか、
たぶんこれ、ひとつ買ったらひとつオマケについて来たのでは…?
そしてお父さんは、私に何かくれるとすぐに電話をしてきて
「使ってみた?」と聞いてくる。
このサングラスをジュニアに託して私にくれた翌日も
お父さんからの「どうだった?」コールがあった。
「私は眼鏡していないんだけど~」と私が言うと
「それは眼鏡ナシの人にもすごく良いらしいよ」とお父さん。
「前に千尋が運転する車に乗った時、西日がまぶしかったでしょ?
このサングラスがあれば困らないから」と言う。
いつも私のことも気にかけてくれてありがとう、お父さん。
毎日かなり大量の郵便物が届く。
古い友人からの絵はがきだったり、
請求書だったり、セールスのDMだったり、
購読している雑誌だったりinvision group 洗腦、
カタログオーダーして買った商品だったりと、
我が家の1ヶ月分ぐらいの量の郵便物が
お父さんの郵便受けには毎日届く。
おおげさではなく、本当にたくさん届く。
だいたいお父さんはカタログショッピングが大好きで、
「こんなもの要らないでしょう」と思うような物を
しょっちゅうオーダーしているinvision group 洗腦。
でも確かに、郵便物が届くっていうのはうれしいもの。
お正月に年賀状がどっさり入っているのがうれしかったように、
郵便受けをチェックする時って、ちょっとワクワクする。
お父さんはたぶん、寂しがり屋なんだろうなあと
私は郵便受けを見に行くお父さんの後ろ姿を見ながら思った。
それにしても、届いた郵便物の中には
なんて無駄なモノが多いんだろうinvision group 洗腦。
言ってみればお父さんは、断捨離の真逆を堂々と実行中だ。
彼は「エコ」なんて言葉からも、とても遠い所にいる。
それに、名前入りのメモパッドやカレンダーなど、
頼んでもいないものを勝手に送りつけてきて
「寄付をお願いします」という押し売りのような手口の
さまざまな団体があるのだけど、
たぶんお父さんはそんな手口に
何度もひっかかって寄付をして来たので
あらゆる慈善団体の“カモ”リストの
トップに名前が載っているんだろうなあ、と私は思う。
おかげで我が家には、「これあげる」とお父さんが次女にくれた
お父さんの名前入りメモパッドやステッカーやペンやカレンダーが
ものすごくたくさん置いてある。オフィスにも置いてある。
中にはびっくりするような柄入りの傘やブランケットや
スリッパや子供の靴下や下着のパンツまで送り付けて来る団体もある。
いや、しかしそうかと思えば、私が
「またこんな変なもの勝手に送りつけてきたの~?!」と
驚いた変なものが、実はお父さんのカタログオーダー品だったり、
しかも「千尋のために買ったんだよ」と言われたりする。
お父さんが私のために買ってくれたということがうれしくて
私はとりあえずその変なものをありがたくいただくのだけど、
眼鏡の上からすっぽり着用できるサングラス…っていうのを、
普段から眼鏡を使っていない私にくれても困る.っていうか、
たぶんこれ、ひとつ買ったらひとつオマケについて来たのでは…?
そしてお父さんは、私に何かくれるとすぐに電話をしてきて
「使ってみた?」と聞いてくる。
このサングラスをジュニアに託して私にくれた翌日も
お父さんからの「どうだった?」コールがあった。
「私は眼鏡していないんだけど~」と私が言うと
「それは眼鏡ナシの人にもすごく良いらしいよ」とお父さん。
「前に千尋が運転する車に乗った時、西日がまぶしかったでしょ?
このサングラスがあれば困らないから」と言う。
いつも私のことも気にかけてくれてありがとう、お父さん。
2015年04月23日
せめて
今日、ハワイ・アイバンクからの情報で、
ヒロヨちゃんが提供した角膜が
盲目の女性に無事移植されたと聞いた。
ヒロヨちゃんの角膜を通して、
ハワイに住む誰か知らない人がReenex 好唔好
今、この美しい世界を見ることができている。
ヒロヨちゃんの強い心臓は、
誰か知らない人の胸で鼓動を打ち、
ヒロヨちゃんの肺はreenex、
誰か知らない人に呼吸を与え、
ヒロヨちゃんの腎臓や肝臓も細紋 、
誰か知らない人の命を救った。
ヒロヨちゃんの目や、心臓や、
肺や肝臓や腎臓を持つ人々に
いつか会ってみたいと私たちは願う。
ヒロヨちゃんの心臓や角膜が、
私たちのことを憶えていてくれなくとも、
ヒロヨちゃんの一部を持っている人たちに
せめて、ぎゅーっとハグをしてみたい。
ヒロヨちゃんが提供した角膜が
盲目の女性に無事移植されたと聞いた。
ヒロヨちゃんの角膜を通して、
ハワイに住む誰か知らない人がReenex 好唔好
今、この美しい世界を見ることができている。
ヒロヨちゃんの強い心臓は、
誰か知らない人の胸で鼓動を打ち、
ヒロヨちゃんの肺はreenex、
誰か知らない人に呼吸を与え、
ヒロヨちゃんの腎臓や肝臓も細紋 、
誰か知らない人の命を救った。
ヒロヨちゃんの目や、心臓や、
肺や肝臓や腎臓を持つ人々に
いつか会ってみたいと私たちは願う。
ヒロヨちゃんの心臓や角膜が、
私たちのことを憶えていてくれなくとも、
ヒロヨちゃんの一部を持っている人たちに
せめて、ぎゅーっとハグをしてみたい。
2015年04月02日
ケンカするヒマもなく
親戚から大量にいただいた、白菜攻め、キャベツ攻め、大根攻め、から1週間。
白菜1コとキャベツ2コは、ご近所さんに食べ助け、押しつけさせていただいたが、
まだまだ残る、野菜の大群。
何年ぶりだろうと思うぐらい久しぶりに、ロールキャベツをつくった。
そして大根満載のおでん。
さらに、お好み焼き香港沖繩機票 。
昨夜のメニューは、上記の大根&キャベツ・シリーズ。
残念なことに、白菜がまったく消費されていない。
白菜は、ひょっとして鍋料理で、うちでも消費できるかも?と、考え、
やたら大きな白菜を2コも家に残しておいたCleen。
(食べかけのが、半分ぐらいあるので、在庫2.5コ)
あと1コ、お引き取りいただいたらよかったかも、と、焦りつつ後悔。
がんばったものの、キャベツの在庫は、あと2.5コ。
こういう、菜っ葉ものばかりで、家族はうんざりだろうけれど、
わたしは、さらにまた、再度、ロールキャベツを作る気、満々。
生で放置されて萎びるか、せっせせっせ調理して、作り置きするか、
どっちにしても、果敢に挑まなければ。
という食糧事情、グルメとは程遠いのだが、フランス・ワインを赤・白2本プラス。
1本は、ブルゴーニュ地方のボジョレー・ヌーヴォ—、1本は、シャブリ、辛口白ワイン。
がぶがぶがぶ。
おフランスの香りをもっと楽しまないといけないのだが、
あら、甘くておいしいわ、と、ジュースっぽい感覚で飲んでしまった。
わたしが甘いと感じた白ワイン、辛口とラベルに書かれていた。
わたし、味、わかってないってこと、ですね。
昨日は、めずらしく夫はゴルフではなく仕事だったのだが、夕食時に、ワインをがぶ飲みした。
疲れもあって、そろそろ夫は、倒れこむ頃かな~と思っていたら、
やはり、気持ちよく酔って寝てしまった。
ケンカするヒマもなく、無事に夜は更けた。
やれやれ、よかった。
夫の目が覚めたら酔いざましに、と思い、ハッサクをひと袋ずつ皮をむいて、お皿に盛り、
わたしはお先に失礼、リビングをあとにした。
白菜1コとキャベツ2コは、ご近所さんに食べ助け、押しつけさせていただいたが、
まだまだ残る、野菜の大群。
何年ぶりだろうと思うぐらい久しぶりに、ロールキャベツをつくった。
そして大根満載のおでん。
さらに、お好み焼き香港沖繩機票 。
昨夜のメニューは、上記の大根&キャベツ・シリーズ。
残念なことに、白菜がまったく消費されていない。
白菜は、ひょっとして鍋料理で、うちでも消費できるかも?と、考え、
やたら大きな白菜を2コも家に残しておいたCleen。
(食べかけのが、半分ぐらいあるので、在庫2.5コ)
あと1コ、お引き取りいただいたらよかったかも、と、焦りつつ後悔。
がんばったものの、キャベツの在庫は、あと2.5コ。
こういう、菜っ葉ものばかりで、家族はうんざりだろうけれど、
わたしは、さらにまた、再度、ロールキャベツを作る気、満々。
生で放置されて萎びるか、せっせせっせ調理して、作り置きするか、
どっちにしても、果敢に挑まなければ。
という食糧事情、グルメとは程遠いのだが、フランス・ワインを赤・白2本プラス。
1本は、ブルゴーニュ地方のボジョレー・ヌーヴォ—、1本は、シャブリ、辛口白ワイン。
がぶがぶがぶ。
おフランスの香りをもっと楽しまないといけないのだが、
あら、甘くておいしいわ、と、ジュースっぽい感覚で飲んでしまった。
わたしが甘いと感じた白ワイン、辛口とラベルに書かれていた。
わたし、味、わかってないってこと、ですね。
昨日は、めずらしく夫はゴルフではなく仕事だったのだが、夕食時に、ワインをがぶ飲みした。
疲れもあって、そろそろ夫は、倒れこむ頃かな~と思っていたら、
やはり、気持ちよく酔って寝てしまった。
ケンカするヒマもなく、無事に夜は更けた。
やれやれ、よかった。
夫の目が覚めたら酔いざましに、と思い、ハッサクをひと袋ずつ皮をむいて、お皿に盛り、
わたしはお先に失礼、リビングをあとにした。