2015年03月31日
そのことで
社会の中は、複雑な面もあるが、ある面、単純な仕組み、構造にもなっていて、
同じような場所には、同じような人が集まる。
狭い範囲の自分の周りが全てだ、と思い込む人が多い。
そして、お互い、交わることのない層に対して、全く理解しようとしない。
別世界の、縁のない人々と捉え、視野の中に入らない。
異星人のごとく、無関心を貫く。
社会全体を見渡さない、自分の周りだけの小さな世界が、
全体にも通じると思っている人たち・・・
私は「マリー・アントワネット軍団」と名づけている。
マリー・アントワネットの実像には、いろんな諸説があり、
池田理代子さんの「ベルばら」では、いいかんじだけれど。
彼女は歴史のうねり、軋みに巻き込まれた被害者でもあるが、
ここでは、民衆の憎悪の対象となった、血税浪費のド派手生活をデフォルメして。
それと、お勉強が嫌いなところも向日葵纖體美容投訴。
自分と世の中の皆は同じではない、ということさえ、気づいていない。
閉ざされた社会に身を置いていると、見える範囲が限られている。
中でも、お金を稼ぐ必然性がなく、稼いだことがない上に、
お金の重要性を考えたことがないという、素晴らしい「ぬるま湯」は、
ものを見る目に大きな影響を与える向日葵纖體美容投訴。
(特別な心身上の理由がある人は別として)
もっと曇りのない大きな目で、世の中、世界を広く、深く、見渡して欲しい。
ぬるま湯から出ると風邪をひく、
自分を客観的に直視するのが嫌、
自分にとって、都合の悪いことには目をつぶる、
同じ環境の仲間と、どっぷり「ぬるま湯」を享受する、
まわりでワーワーおしゃべりしているだけで、本質には近付こうともしない。
その場限りの膨大な享楽時間を上っ面で楽しむだけで、
何かを考えている様子は、ほとんど感じられない。
わざと、考えていないフリをしているのか?
生活信条は、「何も深く考えないこと」なのだろうか?
曇りのない目で世の中を見ると、汚れたものも見える。
そのことで、純粋さが失われるわけではない。
いろんなものを知らないなら、知ろうとする姿勢も大事だ。
知った上で、自分の作ったフィルターをかけるのは自由だと思う。
人様には迷惑もかけていないし、攻撃もしていない。
自分を守って、どこが悪い。
まあ、それも人生。
人には人の道がある、とういうものだ。
他人があれこれ口出しするものでもないと思う。
が、私は、「世の中を知ろうとしない」方々は、苦手だ。
同じような場所には、同じような人が集まる。
狭い範囲の自分の周りが全てだ、と思い込む人が多い。
そして、お互い、交わることのない層に対して、全く理解しようとしない。
別世界の、縁のない人々と捉え、視野の中に入らない。
異星人のごとく、無関心を貫く。
社会全体を見渡さない、自分の周りだけの小さな世界が、
全体にも通じると思っている人たち・・・
私は「マリー・アントワネット軍団」と名づけている。
マリー・アントワネットの実像には、いろんな諸説があり、
池田理代子さんの「ベルばら」では、いいかんじだけれど。
彼女は歴史のうねり、軋みに巻き込まれた被害者でもあるが、
ここでは、民衆の憎悪の対象となった、血税浪費のド派手生活をデフォルメして。
それと、お勉強が嫌いなところも向日葵纖體美容投訴。
自分と世の中の皆は同じではない、ということさえ、気づいていない。
閉ざされた社会に身を置いていると、見える範囲が限られている。
中でも、お金を稼ぐ必然性がなく、稼いだことがない上に、
お金の重要性を考えたことがないという、素晴らしい「ぬるま湯」は、
ものを見る目に大きな影響を与える向日葵纖體美容投訴。
(特別な心身上の理由がある人は別として)
もっと曇りのない大きな目で、世の中、世界を広く、深く、見渡して欲しい。
ぬるま湯から出ると風邪をひく、
自分を客観的に直視するのが嫌、
自分にとって、都合の悪いことには目をつぶる、
同じ環境の仲間と、どっぷり「ぬるま湯」を享受する、
まわりでワーワーおしゃべりしているだけで、本質には近付こうともしない。
その場限りの膨大な享楽時間を上っ面で楽しむだけで、
何かを考えている様子は、ほとんど感じられない。
わざと、考えていないフリをしているのか?
生活信条は、「何も深く考えないこと」なのだろうか?
曇りのない目で世の中を見ると、汚れたものも見える。
そのことで、純粋さが失われるわけではない。
いろんなものを知らないなら、知ろうとする姿勢も大事だ。
知った上で、自分の作ったフィルターをかけるのは自由だと思う。
人様には迷惑もかけていないし、攻撃もしていない。
自分を守って、どこが悪い。
まあ、それも人生。
人には人の道がある、とういうものだ。
他人があれこれ口出しするものでもないと思う。
が、私は、「世の中を知ろうとしない」方々は、苦手だ。
2015年03月26日
考えたからって
朝、起きても、頭に乗った漬物石はなく、血液はさらさら、血管に何の突起物も感じず流れている。
赤ん坊の簡易ベッドを片付けながら、まるで入院患者が退院した後の、病室清掃気分。
あちこちに踏みつけられた雑草や、ゴミや、靴の片方だけが落ちている、
地響きとともに、戦車が通り抜けた跡のよう。
長女一家が、お婿さんの実家に里帰り。
戦車まるごと、瞬間移動。
こちらは開放感だが、あちらのお家は大変だろうなあ・・・。
お気の毒・・・。
わぁわぁ、きゃあきゃあ言って喜ぶのは最初のあたりだけ。
運動会の一周目トラック。
あちらは、去年は長男さんご一家も帰省されたらしいが、
「今回はどうなの?」と長女に尋ねると、「来ないかも知れないらしい」との返事。
そりゃあそうだろうなあ。
長男一家は、遠方に住む、幼児一人と若夫婦。
次男一家は、これまた遠方に住む、乳幼児2人と若夫婦。(長女のお婿さんは、次男)
近くには、近距離のところに嫁いだお姉さん(子供は幼児2人)が住む。
日ごろは、リタイアされたご夫婦だけの静かな暮らし。
そこへ、芋の子をごった返したような乳幼児とりまぜた、ごった煮状態での年末年始。
台所、大変だろう。
あちらのおかあさん、目が回るだろう。
食堂、全員、揃って食べることが出来るのだろうか?
お風呂の順番は?
最後の人は、お湯の状態は? (量、質、温度。いっそシャワーで。温もれないけれど)
お年寄りが同居していないから、まだマシだ。
若い、熱い、次から次へと起こる用事で、熱気と混沌の、ごった返し。
そうやって親きょうだいを巻き込んで、子育てしていく。
いちいち気を使っていては、やっていられない。
一人で抱え込んで頑張っても、パンクする。
自分もずいぶん、助けてもらった。
直接、手助けできないお年寄り(曾祖母)は、子育ての足を引っ張らないよう、自分の健康に気をつける。
各自、自分の持ち場を守り、役割を果たす。
お正月には、またまた民族大移動。
どしんどしんと、大地響き。
それぞれの核家族が子供や孫たちを引き連れて大集合の、大家族。
長男のヨメだけが、しんどい思いをするのではなく、
各世帯、負担が軽いようにしなければ、持たない、続かない、維持できない。
地方(親元)と都市部(子世帯の勤務・通学地)のパイプやバランス、役割分担。
辛い想いをしてきた、上の世代の人々の経験を、知恵を絞ってプラスに転化させるのが理想だ。
降って湧いたような妙案は存在せず、試行錯誤するしかない。
リタイアすると、親元に帰る人も、ちらほら見かける。
が、仕事や子育てのために住んでいた、現役時代に自分が生活していた地をすぱっと切るのではなく、親元と行ったり来たり。
ただし、年とともに、体力や気力、経済力が持たなくなり、どちらか一方になることが予想される。
そこで、子供たちに、いかにバトンタッチするか。
まったくバトンタッチできすに、そこで断ち切れてしまう場合もある。
有形・無形ともに、継承は、困難を極める。
自分の想いと子供世代の想いは、別であることが多い。
都市部では、一代一代、消滅してき、また新しい一代が生まれ、誕生、消滅が繰り返される。
そこに続くものは、血だけか。(血が続かないこともある)
お墓の継承さえ、切ろうとする動きもある。
子供や孫を可愛がるのは、ペットを可愛がるのと訳が違う。
かといって、自己犠牲までして見返りを求めるのは、理想に反する。
虐待を受けて育った子供は、また虐待を繰り返す傾向にあるらしい。
それと反対に、愛されて受け入れられて育った子供は、同じように人を愛する心が育まれているように思う。
が、無条件に溺愛するあまりに、距離感を保てず、お互いのためにならない親子もいる。
あまりたいして何も考えずに、理想的な家族もいるし、
考えたからって、どうなるってものでもない。
なるようになる、ってこと。
で、怒涛の如き過ぎ去った、この1ヶ月半。
自分の時間が持てないということは、河童のアタマのお皿が干からびる、ということだ。
ぺきぺき、ひび割れしそうではあったが、どうにか持った。
ひとつひとつの事柄をクリアして、次に移る。
さあ、また次のステップが待っている。
それまで、ちょっとサボっておこう。
2015年03月11日
私は幸せです
今日は、実家がらみの、私にとって、何よりも怖い、崇めたて怖れ畏怖している御三家
母、姉、義姉、のお三人さんが、我が家にやってきた。
掃除は完璧に、時間切れ、アウト。
行く先々に、ゴミ。
まあ、ご愛敬。私、こんなんです~。
義姉のお手製の、あなご巻き寿司を持ってきていただいた。
あと、メロンやら、ありえないほど高級なデザートやら。
実姉も、和菓子、洋菓子、色いろ持ってきてくれた。
助かりました~。美味しかったです~。
ケータリングのスタッフが、あちこちから来てくれたようなかんじ。
私が、ぼーーーーーーっとしているので、みなさん、協力体制。
感謝します。ほんまですよ。
私は、末っ子なので、怒られてナンボ。
こんなに大きくなっても、人生の残り時間の方が少なくなっても、末っ子は、末っ子。
「甘やかして育てた」と、母は言うが、ほんとぅ~? 信じられない・・・!!!
さて、今日は、どこをどういう風に怒られるかな??
ビクビク戦々恐々としていたが・・・。
母から電話あり。
「あんたは、どうなることかと思ったけれど、幸せに暮らしてるね。よかった。」
ブログを読んでくださる方々には、なんの面白味もなくて、実に申し訳ないのですが
今日は、幸せ気分をしみじみ感じました。
ありがとう。みんな。
私は幸せです。
トップ画像のデザートは、ひとつ900円だそうです。
どこやらのブランド・トマトを使った、ゼリー。
義姉、お持たせのデザート。
一人につき、半分分けして、いただきましたが、とても美味しかったです。
これは、義姉のお兄さんが義姉に贈ってくれたものだそうだ。
幸せの、順めぐり。
いい人ばかりで、本当に涙が出ます。本当に。(ネタではなく)
今が面白くない人や、どこかしら、充実感がない人にとっては、
実に面白くない、不愉快な本日のブログ内容。
でも、幸せは、本人の気持ちの持ちようだと思う。
小さな幸せに、感謝して。
そして、私の周りの人々に感謝して。
ありがとう。
ブログご覧の皆様には、他人の幸せなど、なんの活力にもならず
面白くなくて、ごめんね。
母、姉、義姉、のお三人さんが、我が家にやってきた。
掃除は完璧に、時間切れ、アウト。
行く先々に、ゴミ。
まあ、ご愛敬。私、こんなんです~。
義姉のお手製の、あなご巻き寿司を持ってきていただいた。
あと、メロンやら、ありえないほど高級なデザートやら。
実姉も、和菓子、洋菓子、色いろ持ってきてくれた。
助かりました~。美味しかったです~。
ケータリングのスタッフが、あちこちから来てくれたようなかんじ。
私が、ぼーーーーーーっとしているので、みなさん、協力体制。
感謝します。ほんまですよ。
私は、末っ子なので、怒られてナンボ。
こんなに大きくなっても、人生の残り時間の方が少なくなっても、末っ子は、末っ子。
「甘やかして育てた」と、母は言うが、ほんとぅ~? 信じられない・・・!!!
さて、今日は、どこをどういう風に怒られるかな??
ビクビク戦々恐々としていたが・・・。
母から電話あり。
「あんたは、どうなることかと思ったけれど、幸せに暮らしてるね。よかった。」
ブログを読んでくださる方々には、なんの面白味もなくて、実に申し訳ないのですが
今日は、幸せ気分をしみじみ感じました。
ありがとう。みんな。
私は幸せです。
トップ画像のデザートは、ひとつ900円だそうです。
どこやらのブランド・トマトを使った、ゼリー。
義姉、お持たせのデザート。
一人につき、半分分けして、いただきましたが、とても美味しかったです。
これは、義姉のお兄さんが義姉に贈ってくれたものだそうだ。
幸せの、順めぐり。
いい人ばかりで、本当に涙が出ます。本当に。(ネタではなく)
今が面白くない人や、どこかしら、充実感がない人にとっては、
実に面白くない、不愉快な本日のブログ内容。
でも、幸せは、本人の気持ちの持ちようだと思う。
小さな幸せに、感謝して。
そして、私の周りの人々に感謝して。
ありがとう。
ブログご覧の皆様には、他人の幸せなど、なんの活力にもならず
面白くなくて、ごめんね。
2015年03月10日
瀬戸内海交易にとっても
現在放送中のNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』を観ていてふと思ったことがあるので記してみたい。
このドラマでは、今のところ大阪湾を挟んで織田側と毛利側に分断される播磨が舞台となっている。奇遇である。何故ならば、図らずもこのドラマが現在の国際情勢を暗に反映しているからである。不思議なことに、織田と毛利に分裂する播磨が、EU加盟派と親露派に分裂するウクライナに見えてくるから歴史は面白い。
戦国時代、天下統一を目論む織田信長にとっての最大の難敵は、実は戦国武将ではなく本願寺であったらしい。当時の本願寺は大阪湾に突き出た上町台地の石山に城郭を築き、多くの武将が羨むほどの富を得ていたそうである。のみならず、その兵力は相当手ごわかったらしい。攻略するのに十年も時を費やしたというから、攻める信長も抵抗を続ける本願寺も、その執念は計り知れない韓國 食譜。
ところで、領国を持たぬ本願寺が、何故武力に屈せず卓悅Bioderma富むことができたのか。その理由は本願寺の立地条件にある。大阪湾に突き出た石山は天然の要塞であり、瀬戸内海で運ばれる物資の陸揚げにも格好の場所である。そもそも、一向宗本願寺は、瀬戸内海各地に数多くの門徒を抱えていた。多くの門徒から集められた物資が、瀬戸内海を行き来する一向宗門徒の村上水軍を通じて寄進されていたことは十分考えられる。つまり、この場所は軍事的に見ても、瀬戸内海交易にとっても、最も好都合の場所だったのであ。
織田信長は本願寺を羨望した。何としてでも石山の土地を本願寺から奪い取りたかった。大阪を手に入れれば、海のシルクロードである瀬戸内海の覇権も手に入る。西国攻略の足がかりができる。一方、西国諸国を掌握する毛利家にとっても本願寺は無視できない存在である。領民に多くの門徒を抱える毛利にとって、本願寺を敵に回すことは領内に内紛を招くことになる。むしろ、本願寺を援助する事こそ領内の結束を磐石にし、信長の西国への野心を食い止めることができる。
一方、ウクライナにあるクリミア半島はどうであろう。黒海に突き出たクリミア半島は、その入り組んだ地形に数多くの良港を持ち、軍事においても交易においても格好の場所である。何より、ロシアは広大な国土を持ちながら地中海に面していない。ロシアが地中海に進出する為には、是が非とも黒海を横断してボスボラス海峡を抜けなければならない。ロシアにとっての地中海は、信長にとっての瀬戸内海と同じである。ロシアが必要な黒海は、信長が必要な大阪湾と同じである。ロシアが欲しがるクリミア半島は、信長が欲しがる上町台地と同じなのである。
このドラマでは、今のところ大阪湾を挟んで織田側と毛利側に分断される播磨が舞台となっている。奇遇である。何故ならば、図らずもこのドラマが現在の国際情勢を暗に反映しているからである。不思議なことに、織田と毛利に分裂する播磨が、EU加盟派と親露派に分裂するウクライナに見えてくるから歴史は面白い。
戦国時代、天下統一を目論む織田信長にとっての最大の難敵は、実は戦国武将ではなく本願寺であったらしい。当時の本願寺は大阪湾に突き出た上町台地の石山に城郭を築き、多くの武将が羨むほどの富を得ていたそうである。のみならず、その兵力は相当手ごわかったらしい。攻略するのに十年も時を費やしたというから、攻める信長も抵抗を続ける本願寺も、その執念は計り知れない韓國 食譜。
ところで、領国を持たぬ本願寺が、何故武力に屈せず卓悅Bioderma富むことができたのか。その理由は本願寺の立地条件にある。大阪湾に突き出た石山は天然の要塞であり、瀬戸内海で運ばれる物資の陸揚げにも格好の場所である。そもそも、一向宗本願寺は、瀬戸内海各地に数多くの門徒を抱えていた。多くの門徒から集められた物資が、瀬戸内海を行き来する一向宗門徒の村上水軍を通じて寄進されていたことは十分考えられる。つまり、この場所は軍事的に見ても、瀬戸内海交易にとっても、最も好都合の場所だったのであ。
織田信長は本願寺を羨望した。何としてでも石山の土地を本願寺から奪い取りたかった。大阪を手に入れれば、海のシルクロードである瀬戸内海の覇権も手に入る。西国攻略の足がかりができる。一方、西国諸国を掌握する毛利家にとっても本願寺は無視できない存在である。領民に多くの門徒を抱える毛利にとって、本願寺を敵に回すことは領内に内紛を招くことになる。むしろ、本願寺を援助する事こそ領内の結束を磐石にし、信長の西国への野心を食い止めることができる。
一方、ウクライナにあるクリミア半島はどうであろう。黒海に突き出たクリミア半島は、その入り組んだ地形に数多くの良港を持ち、軍事においても交易においても格好の場所である。何より、ロシアは広大な国土を持ちながら地中海に面していない。ロシアが地中海に進出する為には、是が非とも黒海を横断してボスボラス海峡を抜けなければならない。ロシアにとっての地中海は、信長にとっての瀬戸内海と同じである。ロシアが必要な黒海は、信長が必要な大阪湾と同じである。ロシアが欲しがるクリミア半島は、信長が欲しがる上町台地と同じなのである。
2015年03月03日
真の美の追求者は
話は、ころりと180度変わって、
61歳で定年後、パチンコのやりすぎで、体を壊し、それから社交ダンスに転向したという人がいる。
えらくまた、大きく方向転換したものだ。
パチンコでお金もしっかり稼いで、車も買ったし、旅行にも行ったし、と、まるでセミプロのよう。
だが、あまりにも根を詰めすぎて、どえらいことになり、それ以来は、ぴたっと、まったくパチンコはしていないそうだ。
今は、汗だくになってダンスをして、家に帰って(昨日なら)プロ野球を見て、あとは、ころりと朝まで爆睡。
ダンスを始めて、もう10年以上になるという(つまり少なくとも、現在は72歳以上)、
その方のお話を伺い、お年にはまったく見えないことにびっくり。
朝から晩まで、空気の悪い密室に閉じこもって、
体は動かさず、目だけをギンギンぎらぎら凝視するパチンコより、ずっとずっと、健康的でいい、と、しみじみ思った。
ただし、ダンスをする人は、いまのところ、わたしの知る限りでは、ほぼ100%、お酒はほとんど飲まない。
飲んでも、ビールをほんの少し、といったところ。
これは、一人を除いて、外れたことがない、マイ集計データだ。
この例外は、昨日、わたしのブログにアップした美しき男性。
アル中かと思えるぐらい、強烈にきついお酒のニオイがしていた。
美しくても、いろんな側面を抱えておられるようだ。
そして、あの端整な美しすぎる容貌や、動作から、ストイックで、極端な理想主義者であるだろうことや、
生活感あふれる女性の無神経な逞しさ、雑菌まみれのずうずうしさ、とは相反するもの、相容れないものを感じた。
なので、あの人は、狂気の王ルード・ヴィッヒ2世(1845~1886)や、
そのルード・ヴィッヒを描いた映画を作ったヴィスコンティ監督(ミラノの名門貴族出身)、
同じくイタリア・ミラノ出身のデザイナーで、1997年に、高級男娼に殺された、ジャン二・ヴェルサーチみたいな人かしらん・・・と
(あくまでも)勝手に想像した。
真の美の追求者は、俗な現実を嫌い、女性を寄り付かせない人が多い。
女性は、もわっと暑苦しいんだろう。
とことん無駄を排除した究極の美の追求には、ジャマなんだろう。
それで、女性であるわたしは、あんなに美しい男性と接近したにもかかわらず、ロボットのように感じたのではないだろうか。
やはり美しすぎるものには、現実味がない。生きている生暖かい体温が感じられない。(その代わりに、アルコール?)
わたしは、現実主義の生活者なので、少々汚れている人でないと、呼吸が感じられないのかも。
美しすぎる人と共通点がないって、つらいものがある。
(案外、しゃべってみたら、ふつーの人だったりして・・・
思い込みもここまで来ると、なかなかのもの)
と、見事に、話がころりと逸れた。
これが、わたしの脳ミソからミソがワープするという欠点そのものだ。
ということで、今日も結論はなく、書き散らしただけになった。
61歳で定年後、パチンコのやりすぎで、体を壊し、それから社交ダンスに転向したという人がいる。
えらくまた、大きく方向転換したものだ。
パチンコでお金もしっかり稼いで、車も買ったし、旅行にも行ったし、と、まるでセミプロのよう。
だが、あまりにも根を詰めすぎて、どえらいことになり、それ以来は、ぴたっと、まったくパチンコはしていないそうだ。
今は、汗だくになってダンスをして、家に帰って(昨日なら)プロ野球を見て、あとは、ころりと朝まで爆睡。
ダンスを始めて、もう10年以上になるという(つまり少なくとも、現在は72歳以上)、
その方のお話を伺い、お年にはまったく見えないことにびっくり。
朝から晩まで、空気の悪い密室に閉じこもって、
体は動かさず、目だけをギンギンぎらぎら凝視するパチンコより、ずっとずっと、健康的でいい、と、しみじみ思った。
ただし、ダンスをする人は、いまのところ、わたしの知る限りでは、ほぼ100%、お酒はほとんど飲まない。
飲んでも、ビールをほんの少し、といったところ。
これは、一人を除いて、外れたことがない、マイ集計データだ。
この例外は、昨日、わたしのブログにアップした美しき男性。
アル中かと思えるぐらい、強烈にきついお酒のニオイがしていた。
美しくても、いろんな側面を抱えておられるようだ。
そして、あの端整な美しすぎる容貌や、動作から、ストイックで、極端な理想主義者であるだろうことや、
生活感あふれる女性の無神経な逞しさ、雑菌まみれのずうずうしさ、とは相反するもの、相容れないものを感じた。
なので、あの人は、狂気の王ルード・ヴィッヒ2世(1845~1886)や、
そのルード・ヴィッヒを描いた映画を作ったヴィスコンティ監督(ミラノの名門貴族出身)、
同じくイタリア・ミラノ出身のデザイナーで、1997年に、高級男娼に殺された、ジャン二・ヴェルサーチみたいな人かしらん・・・と
(あくまでも)勝手に想像した。
真の美の追求者は、俗な現実を嫌い、女性を寄り付かせない人が多い。
女性は、もわっと暑苦しいんだろう。
とことん無駄を排除した究極の美の追求には、ジャマなんだろう。
それで、女性であるわたしは、あんなに美しい男性と接近したにもかかわらず、ロボットのように感じたのではないだろうか。
やはり美しすぎるものには、現実味がない。生きている生暖かい体温が感じられない。(その代わりに、アルコール?)
わたしは、現実主義の生活者なので、少々汚れている人でないと、呼吸が感じられないのかも。
美しすぎる人と共通点がないって、つらいものがある。
(案外、しゃべってみたら、ふつーの人だったりして・・・
思い込みもここまで来ると、なかなかのもの)
と、見事に、話がころりと逸れた。
これが、わたしの脳ミソからミソがワープするという欠点そのものだ。
ということで、今日も結論はなく、書き散らしただけになった。