2016年01月14日
て彼は顔を上げ
靴を脱いでいると、すぐそばの襖《ふすま》がすっと開いた。ぎくりとした。
八重子が緩慢な動作で出てきた。黒のニットを着て、デニムのパンツを穿《は》いている。家にいる時、彼女はめったにスカートを穿かない。
「遅かったのね」けだるいような口調で彼女はいった。
「電話の後、すぐに会社を出たんだけど──」そこまでいったところで声を途切れさせた。八重子の顔を見たからだ。顔色が悪く、目が充血している。その目の下には隈《くま》が出来ており、急に老け込んだように見えた。
「何があったんだ」
だが八重子はすぐには答えず、ため息を一つついた。乱れた髪をかきあげ、頭痛を抑えるように額に手をあててから、向かいのダイニングルームを指差した。「あっちよ」
「あっちって……」
八重子がダイニングルームのドアを開けた。そこも真っ暗だった。
かすかに異臭が漂っている。キッチンの換気扇が回っているのはそのせいだろう。臭いの原因を尋ねる前に、昭夫は手探りで明かりのスイッチを入れようとした。
「点《つ》けないでっ」小声だが厳しい口調で八重子がいった。昭夫はあわてて手を引っこめた。
「どうしたんだ」
「庭を……庭を見て」
「庭?」
昭夫は鞄をそばの椅子に置き、庭に面したガラス戸に近づいていった。カーテンがぴったりと閉じられている。彼はおそるおそるカーテンを開けた。
庭は形だけのものだった。一応芝生を敷いてあり、植え込みなどもあるが、二坪ちょっとというところだ。むしろ裏庭のほうに面積を取ってある。そちらが南になるからだ。
昭夫は目を凝《こ》らした。ブロック塀《べい》の手前に黒いビニール袋が見える。変だなと思った。今では黒いビニール袋をゴミ捨てに使うことはない。
「なんだ、あの袋は」
彼が訊くと、八重子はテーブルの上から何か取り上げ、無言で彼のほうに差し出した。
それは懐中電灯だった。
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11:37
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